命のビザを発給した杉原千畝氏
暑い日が続きますね。そして、「本日、もっとも暑い町」として多治見の名がニュースで登場していますね。
お盆休みのこの時季は、何かと戦争に関して考え、学ぶ時期でもあります。勿論、私も戦争を知らない世代ですから、過去の話を聞いたり、読んだり、間接的に知るわけです。
先の大戦(第二次世界大戦)を知る際、沖縄、真珠湾、原爆投下…、そんなキーワードと日本周辺の地理目線で戦争を考えることが多いのですが、同じ時、遥か遠い欧州の地で戦争に直面していた日本人がいました。
それが、杉浦千畝(すぎうらちうね)氏。
氏は第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していました。そこで、ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人たちに、独断で日本の通過ビザを発給した人です。
彼の出身地である岐阜県加茂郡八百津町に、杉原千畝記念館があります。そこに行ってきました。
私は今回、2度目の訪問が叶いましたが、前回とはまた違った目線で学び、考えることが出来ました。
なぜ、ドイツがユダヤ人迫害をはじめたのか。
国をまたいで移動する際に必要なビザという存在。
そのビザ取得の有無で明暗が分かれた命。
ビザを取得できたユダヤ人が辿った道(シベリア鉄道でユーラシア大陸横断の長旅、そして日本へ)
さらに続くカナダ、アメリカ、香港 他、新天地への旅。
新天地での再出発。(ユダヤ人の人たちのなんと壮絶な人生…)
一方、外交官を後にしてからの千畝氏の人生。
イスラエル大使館からの連絡を受けるまでの月日。
日本政府が、千畝氏の存在を無かったものとしていた事実。
千畝氏だけでなく、人道的立場からユダヤ人を助けた世界の人々。
はたまた、イスラエルという国の成り立ち。
最後に、自分にとっての後悔のない決断とは…。
いろいろなところに、思いをはせることが出来ました。
新型コロナウイル感染予防対策もされていました
入館時、マスクの着用と手指の消毒をうながされました。その後、氏名や連絡先等を記入しました。万が一、記念館でクラスターが発生した時の対処の為です。この連絡先は、約2ヶ月保管されるとのことです。
訪れた時は人もまばらでしたが、ジックリ読んで周ります。なので、人との距離には気を付けて静かに進みました。
屋外にはシンボルモニュメントや千畝氏の銅像、ビザモニュメント等もあり、散歩によい環境です。東屋や自販機もあるので、屋外での休憩もできます。
コンパクトに、分かりやすく展示されたとてもいい記念館でした。多治見からは、可児市を通過して約1時間ほどの距離です。